野坂昭如『マリリン・モンロー・ノー・リターン』

ちょうどこの1972年頃、野坂全盛で、同名の曲まで歌ってたのだ。その歌を死ぬくらい聞いてはいたのに、小説のほうは読んでなかった。『てろてろ』とか『エロ事師』とかは読んでたのに。 やっぱり野坂節ばりばりで、野坂にとってはモンローってのは女神様だっ…

野坂昭如『マリリン・モンロー・ノー・リターン』

『マリリン・モンロー・ノー・リターン』『水の縁し』『旅の終り』『トテチテタ!』『万婦如夜叉』『不能の姦』6編からなる短編集。装丁横尾忠則 (1972 文藝春秋)

山田詠美『ひざまずいて足をお舐め』

山田詠美は好きでいっぱい読んでいるけれど、『ひざまずいて足をお舐め』はタイトルがアレなので、本屋で買えないという可愛いボクちゃんがいた。貸してやったよ(笑) 実はボクが最初に読んだ詠美は、デビュー作の『ベッドタイムアイズ』(85)でも、直木賞の『…

藤沢周『雨月』

単に読み物としてはおもしろいんだろうけれど、セックス、ドラッグ、憑依、AVなどと記号を並べられるとつらいものがある。結局のところ、キーパーソンとなる田中裕子がどこからやってきてどこに消え去ったのかわからないまま。それはそれでいい、いやそう…

唐十郎『二都物語・鐵假面』

『二都物語』は1972年状況劇場の芝居で、これを札幌に呼んだこともあって、ボクには思い入れが深い、深すぎる。いまはもうだいぶ忘れてしまったけれど、その当時はほとんど台本まるごと憶えていた。 この戯曲の中で万年筆が出てくるが、たしかこの『二都物語…

やまだ紫『性悪猫』

やまだ紫の処女単行本、代表作。漫画というにはあまりに詩的。部類の猫好きのやまだ紫の描く猫は猫なのだよ。そしてぼそぼそ独白する猫。きっとやさしくなれる。 つめたい言葉を言ったり / 気まぐれにやさしく見つめあったり / そんなことをして過ごす日々は…

綿矢りさ『インストール』

綿矢りさが『殴りたい背中』で芥川賞をもらうまで、その存在なんか知りませんでした。その彼女のデビュー作。去年あたりの作品かと思ったら、2001年、17歳のときの作品。しかも文藝賞も受賞してる。約3年ちょいで、なんと42刷。どこでいつの間にか売れて…

太宰治『斜陽』(1947「新潮」)

いまさらながらの『斜陽』なんだけどね、初めて16歳の時に読んでから、もうすでに太宰の齢を越えて生きてしまったいま読むことの、自分にとっての差異が興味深かった。 16歳の時、ボクは入院中で消灯時間など無視して一晩で読み切ってしまったのだった。その…

辻邦生/小瀧達郎『私の二都物語?東京・パリ』

辻邦生は、一度読んでみなければと思いつつ、いまだかつて読んだことがなくて、何とも言えないのだが、堀江敏幸と同様にいまいちいいのかどうだかよくわからない。文章が難解という意味ではなくて、むしろこの『私の二都物語?東京・パリ』は平易だよな。 彼…

堀江敏幸『いつか王子駅で』

うーん、これもねぇ。前半は1999年「書斎の競馬」という雑誌に連載されたという。だからか、競馬の話に移り変わっていくのだけれど、競馬に関して、ほとんど知らないボクにとってはおもしろいはずがない。話は都電荒川線、とくに町屋駅前から王子駅前の路面…

堀江敏幸『ゼラニウム』

この堀江敏幸って人の文章はいいんだかどうなんだか。確かにエスプリの効いた文章は美しい。が、それが逆に邪魔をするときもあるわけだし、フェティシズムに彩られもする。クセになりそうな気配がする。 「薔薇のある墓地」「さくらんぼのある家」「砂の森」…

中上健次『水の女』 (「文学界」1978.11)

浜村龍造のプロトタイプのような富森。《女を明日、浮島にある遊廓に連れていく算段をしていたと気づき、「ええんじゃ、ええんじゃ」と女を抱き寄せ》ることしかできない男。強烈なセックス描写にそそられる以上に、男の悲哀というのも変なんだけど、何かし…

中上健次『鷹を飼う家』(「すばる」 1977.2)

古座の「水が膨れ上がり、壁のように立つ」海に迫られる閉塞感の中でケモノとならざるを得ない人間。『鳳仙花』のプロトタイプ シノは嫁いでから今日の今日まで、鷹の餌の腐肉のにおい糞のにおいによくがまんしたと思った。並の女では耐えられないと思った。…

中上健次『かげろう』 (「群像」1979.1)

この「かげろう」というのは「蜉蝣」なんだろな。と、いうのは森山大道の写真集に『蜉蝣』というのがあったから。森山大道にしては珍しい裸の写真集で妙にこの『かげろう』とかぶる。読んでいると『蜉蝣』の写真が思い起される。ひたすら、底の見えない下降…

中上健次『赫髪』(「文藝」 1978.5)

宮下順子と石橋蓮司で、神代辰巳監督によって映画化された『赫い髪の女』は日活ロマンポルノ名作中の名作。まごれびゅを書く前に読んでみて、再度読み直してみた。そこで「熊野という風土」などと書いているけれど、この『赫髪』そのものは中上の中にあって…

『水の女』

1979年作品社より出された短編集 集英社文庫 中上健次全集2

谷崎潤一郎『春琴抄』

中上の『ふたかみ』なんぞを読んだら、やっぱりもう一度『春琴抄』を読み直さなアカンワってことになってしまうでしょ。意外と谷崎の筆の運びは冷静だった。ごく淡々と。いつの間にか『春琴抄』をルーツとするもので、もっと激してるかと思いこんでいたのだ…

綿矢りさ『蹴りたい背中』

本人も語呂がいいと言う「最年少芥川賞」。 いきなり「かわりばんこに顕微鏡を」などと出てくると、さすがに引いてしまった。このような言葉の使い方に対する違和感がずっと感じてしまう。それと選評などでもよく言われていた世界の狭さが気になる。でもこれ…

金原ひとみ『蛇にピアス』

噂の芥川賞。ピアス、刺青、身体改造....村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で登場したとき、そのドラッグ、セックスというところで、センセーショナルに騒がれたけれど、同時代の人間として、いまさらドラッグもないだろが...って気になった。いまの金原…

中上健次『ふたかみ』(「文學界」 1985.2)

中上版『春琴抄』 「立彦、ずっとわたしの見た物と同じ物見えたんやのに、他所行ておかしいなった。眼を潰したろ。立彦、それの方が似合うよ。綺麗な顔してるから、化粧して、女の着物きせて、それでここへ住ましとくん。昔やったら、そうしょうれ、と言うた…

中上健次『刺青の蓮花』(「新潮」 1985.1)

究極のエロティシズム。中上健次の重要なアイテムのひとつが「血」であることに改めて気づかされる。SMへとなだれ込んでいくが、それも当然の帰着点かもしれない。これこそが日本のSMの極致。 女が十吉の蓮花が性の興奮とともに赫く花弁をふくらませてい…

中上健次『よしや無頼』(「新潮」 1982.1)

10何ページにもわたって、改行字下げなし。「 」で括られた話し言葉もその中に取り込まれて、すこすこの文章に慣れた目には、ほとんど経文のようで気絶するだろうな。かなりのエネルギーと集中力が必要。一文そのものより、文章のかたまり感に圧倒される。 …

中上健次『愛獣』(「新潮」 1988.5)

嫌悪感をいだき続けながらも、女の在る世界に引きずり込まれざるをえない男。たらい、梅の臭い、歯ブラシ......『高野聖』? 女は男を閨の中で子供を扱うように愛撫した。雨戸を閉め、いかほどに強い臭気であろうと、芳香であろうと用意に入り込めないよう硝…

中上健次『残りの花』(「新潮」 1983.1)

全集で10ページほどの掌編。ほんと短いけれど、路地の暑苦しさや、十吉と女の情感が溢れている。短編集『重力の都』の中でいちばん好きな気がする。 十吉はどんなに優しくても、女に優しすぎることはないと思った。 暗くした家の中で、女と同じように眼がき…

中上健次『重力の都』(「新潮」 1981.1)

御人にとりつかれた女を解き放つために由明がとったのは、女を異世界に突き落とし、自らも女とともに落ちていこうとすること。中上健次自らが「大谷崎潤一郎への佳品への、心からの和讃」というべく『春琴抄』が念頭にあったはず。 由明はそんな幻を女が見聴…

中上健次『重力の都』

中上健次『重力の都』 単行本 新潮文庫 『中上健次全集10』

三島由紀夫『三熊野詣』

短編集『三熊野詣』に集められた四編中の一編。中上健次から「熊野」のキーワードで三島に行ってはみたけれど、中上のような強烈な土着性を期待するほうが無理。美を裡に包み込もうとするベクトルのほうがずっと大きいな。 そして先生自身が、何か醜怪なもの…

三島由紀夫『金閣寺』

いまさらボクごときが何をかいわんやなんですけどね、やっぱりこういうのは、中学生や高校生のころにいくら読んだところでわかるわきゃなかった。かつて何をいったいどう読み飛ばしていたんだろと。話の筋そのものは知られすぎるくらい知られているわけで、…

中上健次『鳳仙花』

秋幸の母親フサの十五歳から三十代に至る半生。兄吉広との死別、勝一郎との出会い、出産、死別。また幼い泰造を死なせてしまう。そして浜村龍造との出会い、秋幸の出産と龍造との別れ。繁蔵との出会い.... 三人、兄吉広も含めるなら四人の男の間で激震する女…

森瑶子『砂の家』

なんでも錯覚やんか、人はな自分のこと以外はどうでもええと思うてんねん。な、せやろ、せやけどやなぁ、生きて行こ思うたら、死んだらあかんやないか、ほんま、死んだらえっちもでけへんようになるやろ、生きてたらいつかそのうちえっちできる日も来るねん…