太宰治『斜陽』(1947「新潮」)

いまさらながらの『斜陽』なんだけどね、初めて16歳の時に読んでから、もうすでに太宰の齢を越えて生きてしまったいま読むことの、自分にとっての差異が興味深かった。
16歳の時、ボクは入院中で消灯時間など無視して一晩で読み切ってしまったのだった。そのとき何を読みとり、感じ取ってたのだろ。この『斜陽』が太宰治の始まり。「人間失格」ということばのイメージをたよりに『斜陽』を読み、たてつづけに『人間失格』を読んだのだった。そこからどっと太宰にはまっていったのだった。

いつたいまあ、私はそのあひだ、何をしてゐたのだらう。革命を、あこがれた事も無かつたし、戀さへ、知らなかつた。いままで世間のおとなたちは、この革命と戀の二つを、最も愚かしく、いまはしいものとして私たちに教へ、戦争の前も、戦争中も、私たちはそのとほりに思ひ込んでゐたのだが、敗戦後、私たちは世間のおとなを信頼しなくなつて、何でもあのひとたちの言ふ事の反對のはうに本當の生きる道があるやうな氣がして來て、革命も戀も、實はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘ついて教へたのに違ひないと思ふやうになつたのだ。私は確信したい。人間は戀と革命のために生れて來たのだ。
(アンダーライン部は傍点)


 しばらくして、小さいお聲で、
「夢を見たの。」
 とおつしやつた。
「さう? どんな夢?」
「蛇の夢。」
 私はぎよつとした。
「お縁側の沓脱石の上に、赤い縞のある女の蛇が、ゐるでせう。見てごらん。」
 私はからだの寒くなるやうな氣持ちで、つと立つてお縁側に出て、ガラス戸越しに、見ると、沓脱石の上に蛇が、秋の陽を浴びて長くのびてゐた。私はくらくらと目まひした。
 私は知つてゐる。お前はあの時から見ると、少し大きくなつて老けてゐるけど、でも私のために卵を焼かれたあの女蛇なのね。お前の復讐は、もう私よく思ひ知つたから、あちらへ お行き。さつさと向うへ行つてお呉れ。

太宰治『斜陽』(1947「新潮」)
太宰治全集10(筑摩書房)[旧かな]