三島由紀夫『金閣寺』

maggot2004-02-28

 いまさらボクごときが何をかいわんやなんですけどね、やっぱりこういうのは、中学生や高校生のころにいくら読んだところでわかるわきゃなかった。かつて何をいったいどう読み飛ばしていたんだろと。話の筋そのものは知られすぎるくらい知られているわけで、修行僧が金閣寺を放火してしまう。彼の苦悶ゆえの放火うんぬんなんてそんななまやさしいものじゃあないよね。
 蛇足ですが、ボクは、高校生のとき左大文字から金閣を眺めていた馬鹿者です。

 なぜ露出した腸が凄慘なのであらう。何故人間の内側を見て、悚然として、目を覆つたりしなければならないのであらう。何故血の流出が、人に衝撃を與へるのだらう。何故人間の内臓が醜いのだらう。……それはつやつやした若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか。……私が自分の醜さを無に化するやうなかういふ考へ方を、鶴川から?はつたと云つたら、彼はどんな顏をするだらうか? 内側と外側、たとへば人間を薔薇の花のやうに内も外もないものとして眺めること、この考へがどうして非人間的に見えるくるのであらうか? もし人間がその精神の内側と肉體の内側を、薔薇の花?のやうに、しなやかに翻へし、捲き返して、日光や五月の微風にさらすことができたとしたら……


 柏木を深く知るにつれてわかつたことだが、彼は永保ちする美がきらひなのであつた。たちまち消える音樂とか、數日のうちに枯れる活け花とか、彼の好みはさういふものに限られ、建築や文學を憎んでゐた。彼が金閣へやつて來たのも、月の照る間の金閣だけを索めて來たのに相違なかつた。それにしても音樂の美とは何とふしぎなものだ! 吹奏者が成就するその短かい美は、一定の時間を純粋な持續に變へ、確實に繰り返されず、蜉蝣のやうな短命の生物をさながら、生命そのものの完全な抽象であり、創造である。音樂ほど生命に似たものはなく、同じ美でありながら、金閣ほど生命から遠く、生を侮蔑して見える美もなかつた。そして柏木が「御所車」を奏でをはつた瞬間に、音樂、この架空の生命は死に、彼の醜い肉體と暗鬱な認識とは、少しも傷つけられず變改されずに、又そこに殘つてゐたのである。
 柏木が美に索めてゐるものは、確實に慰藉ではなかつた! 言はず語らずのうちに、私にはそれがわかつた。彼は自分の脣が尺八の歌口に吹きこむ息の、しばらくの間、中空に成就する美のあとに、自分の内翻足と暗い認識が、前にもましてありありと新鮮に殘ることのはうを愛してゐたのだ。美の無益さ、美がわが體内をとほりすぎて跡形もないこと、それが絶對に何ものをも變へぬこと、…柏木の愛したのはそれだつたのだ。美が私にとつてもそのやうなものであつたとしたら、私の人生はどんなに身輕になつてゐたことだらう。


 私に或る眩暈がなかつたと云つては嘘にならう。私は見てゐた。詳さに見た。しかし私は證人となるに止まつた。あの山門の樓上から、遠い神秘な白い一點に見えたものは、このやうな一定の質量を持つた肉ではなかつた。あの印象があまりに永く?酵したために、目前の乳房は、肉そのものであり、一個の物質にしかすぎなくなつた。しかもそれは何事かを愬へかけ、誘ひかける肉ではなかつた。存在の味氣ない證據であり、生の全體から切り離されて、ただそこに露呈されてあるものであつた。
 まだ私は嘘をつかうとしてゐる。さうだ。眩暈に見舞はれたことはたしかだつた。だが私の目はあまりに詳さに見、乳房が女の乳房であることを通りすぎて、次第に無意味な斷片に變貌するまでの、逐一を見てしまつた。
 ……ふしぎはそれからである。何故ならかうしたいたましい經過の果てに、やうやくそれが私の目に美しく見えだしたのである。美の不毛の不感の性質がそれに賦與されて、乳房は私の目の前にありながら、徐々にそれ自體の原理の裡にとぢこもつた。薔薇が薔薇の原理にとぢこもるやうに。
 私には美は遲く、人が美と官能とを同時に見出すところよりも、はるかに後から來る。みるみる乳房は全體との聯關を取戻し、……肉を乘り超え、……不感のしかし不朽の物質になり、永遠につながるものになつた。
  私の言はうとしてゐることを察してもらひたい。叉そこに金閣が出現した。といふよりは、乳房が金閣に變貌したのである。
 私は初秋の宿直の、颱風の夜を思ひ出した。たとへ月に照らされてゐても、夜の金閣の内部には、あの蔀の内側、板唐戸の内側、剥げた金箔捺しの天井の下に、重い豪奢な闇が澱んでゐた。それは當然だつた。何故なら金閣そのものが、丹念に構築され造型された虚無に他ならなかつたから。そのやうに、目前の乳房も、おもては明るく肉の耀きを放つてこそをれ、内部はおなじ闇でつまつてゐた。その實質は、おなじ重い豪奢な闇なのであつた。
 私は決して認識に醉うてゐたのではない。認識はむしろ踏み躙られ、侮蔑されてゐた。生や欲望は無論のこと!……しかし深い恍惚感は私を去らず、しばらく痺れたやうに、私はその露はな乳房と對坐してゐた。
………。
 かうして叉しても私は、乳房を懐ろへ藏ふ女の、冷め果てた蔑みの眼差に會つた。私は暇を乞うた。玄關まで送つて來た女は、私のうしろに音高くその格子戸を閉めた。

(1956 新潮社)