三島由紀夫『三熊野詣』

 短編集『三熊野詣』に集められた四編中の一編。中上健次から「熊野」のキーワードで三島に行ってはみたけれど、中上のような強烈な土着性を期待するほうが無理。美を裡に包み込もうとするベクトルのほうがずっと大きいな。

 そして先生自身が、何か醜怪なものに化してしまふまでに、美といふふしぎな放射能を放つものを扱ひつづけて來られたことに、常子は感動するのであるが、とても自分にはその萬分の一も授かつてゐないと思はざるをえない。人間の醜い慾の爭ひをこえてまで顯現する美は、あるひは勝利者の側にはあらはれず、敗北者や滅びゆく者の側にだけこつそりと姿を現はすのかもしれないが、さりとて先生は滅びるのはおきらひで、自分の永遠の權威を、(たとへ假りの姿にもせよ)、確立したいとお望みになり、そのために人並外れた淋しい冷たい心をお持ちになるにいたつたのかもしれない。


あなたもめったに感情的にならぬ筈の人だが、永福門院のお歌の訓へは、感情を隠すといふことが藝術でいかに大切かといふ訓へなので、主觀的な藝術と思はれてゐる歌でも、これは少しも例外ではない。近代の歌はそこの大筋をまちがへてゐるのです。私なども近代の歌に毒されて、ああいふ感情的な歌を作つてきたが、あなたがその轍を踏まぬやうに門院のお歌をすすめたのに、却つてそんな風になつてはゐけない。

(「新潮」1975.1)