中上健次『かげろう』 (「群像」1979.1)

 この「かげろう」というのは「蜉蝣」なんだろな。と、いうのは森山大道の写真集に『蜉蝣』というのがあったから。森山大道にしては珍しい裸の写真集で妙にこの『かげろう』とかぶる。読んでいると『蜉蝣』の写真が思い起される。ひたすら、底の見えない下降感、息が詰まる閉塞感
森山大道『蜉蝣』より

 女は乾きに耐えかねていたように、広文の唾液を飲んだ。その女は口いっぱいにほおばった舌が広文のもう一本持っていた性器だと言うように舌をからめ力を籠めて吸い、性器が奥深く入る度に声をつまらせる。その声にあおられたように、広文は、乳房を揉み、犬さえそんなふうな仕草はしないほど自分の体の中にあるわいせつな心そのものの固い塊になって、声をつまらせ、身をよじり快楽に体が熱を帯び赤く光っているような女の体の中に入っていこうとして、腰を動かす。


「痛いのか?」と訊く。
 女は首を振り、それから思いついたように顔に笑をつくり、「あんなあ、教えたろか」と腕を広文の腕にからめ、それから「女て強いんよ」と言う。


 そのまだけいれんしている女の腕をそろえさせ広文はベルトでぐるぐる巻いて縛り上げた。横たわったままの女の兩脚を、夏の盆踊りに使った浴衣の帯で縛った。硝子窓のみならず雨戸も閉め、玄関の内鍵も落とし、広文はそれから素裸になった。女が鵜殿の実家にもどる口実をつけ、別れた男のもとにもどろうと思うなら、女にわいせつの味を教え込んでおいてやる、広文はそう思った。
 広文は女の顔の前に立ち、ブラウスとだらしなくはだけたスカートをつけたままの女の見ひらいた眼、快楽の波が引いて何がはじまるのか濡れて待ち受ける女陰のような口に、いっぱいあふれるように、痛みのような熱さえ堪え、放尿した。女は焼け焦げでもするように声をあげる。女の濡れて臭いを放つブラウスをひきちぎり、スカートをひきちぎった。身動きの出来ない女の体をあおむけに転がし、自分の尿の臭いのついた女の乳房を力いっぱい吸い、それでも膝を割って広文の性器を中にむかえ入れようとする女陰に、深々と入れ尻に指を入れた。