中上健次『鷹を飼う家』(「すばる」 1977.2)

  古座の「水が膨れ上がり、壁のように立つ」海に迫られる閉塞感の中でケモノとならざるを得ない人間。『鳳仙花』のプロトタイプ

 シノは嫁いでから今日の今日まで、鷹の餌の腐肉のにおい糞のにおいによくがまんしたと思った。並の女では耐えられないと思った。つわりの時何度も、シノの腹の中で子供が手足を蹴って動きはじめた時、与一と母親とキミヱの三人にどうにかしてくれと言った。鷹の居丈高の眼が不快だった。人間をあなどっている。嘴が不快だった。爪が不快だった。シノは毎日毎日、何かにおびえ、見つめられている気になった。今日の今日、鷹はもう決して禽鳥ではなかった。


キミヱを犯せないのなら、ケモノのキミヱを竹ホウキで打てと言った。打て、打て、とシノは叫んだ。  与一はそのシノの声にそそのかされ、キミヱを打ちすえた。母親はもぞもぞと御言葉をとなえ、涙を目いっぱいに浮かべ、シノの裸を見て、あわてて眼を伏せた。シノは二十一歳だった。体に傷ひとつなかった。母親のひざもとに寝かされひっくり返されたカニのように手足を動かしているタツヲを産んだが、妊娠線もついていなかった。
 キミヱは竹ホウキの跡をつけてぐったりと横になりそれでも眼だけはあけていた。シノはそのキミヱに口移しで水を飲ませた。キミヱは水をシノの口から子供が乳を吸うように飲んだ。与一がそれを見ていら。シノはその素裸の与一を平手で打った。竹ホウキを与一の手から取り上げ、あおむけに寝かせ、腹、胸、性器を竹ホウキで打った。水を飲み、また与一を打った。
 ケモノめ、ケモノめとシノは叫んだ。
 シノはそう打つたびに、与一の体も性器も大きくなっていく気がし、自分が起きあがったケモノに犯される気がした。雨の音がしていた。海の音がしていた。海の水が膨れ上がり、壁のように立つのが分かった。シノは与一の顔を足で踏んだ。