中上健次『水の女』 (「文学界」1978.11)

 浜村龍造のプロトタイプのような富森。《女を明日、浮島にある遊廓に連れていく算段をしていたと気づき、「ええんじゃ、ええんじゃ」と女を抱き寄せ》ることしかできない男。強烈なセックス描写にそそられる以上に、男の悲哀というのも変なんだけど、何かしら腹の底にざわざわとした感触が残る。

「起きてたん」
 と顔をねじり富森に笑をつくる。
「雨やねえ」と女は言い、その女の声に促されるように押しつけた自分の太腿の間から女の尻に手を差し入れ女陰(ほと)に当てようとすると、女は富森の手が動き易いように軽く膝を立てた。富森の顔を確かめようとするように女は顔をさらにねじって、「ずうっと起きてたん」と言った。


ふと何も彼も面白くなくなったと朝から雨戸を閉め切り女を裸にした。女は妙に恥かしがった。家の中を閉め切り日がほとんど射し込まない中で富森が女を引き寄せ乳房を揉みしだき、女の股を大きく広げさせようとすると、女は嫌だという。富森は訝しがり、雨戸をこころもち開けて嫌がる女にわざとそうするように日の光に照らして女陰を見た。女陰が濡れているのがわかった。富森は女陰の開いた桃色の花弁をみながら一瞬、別な男の性器を受け入れるのを想像してむらむらと腹が立った。富森は女をその姿のままにして沼地に入っていくように性器が女のひだとひだをかきわけていく感じを味わいながら体を女にあずけ、女の乳房を舌で嬲った。


「なあ、雨みたいに落ちて来る山蛭に、うちなんかが血を吸われたらどうなるやろか」