山田詠美『ひざまずいて足をお舐め』

maggot2004-06-18

山田詠美は好きでいっぱい読んでいるけれど、『ひざまずいて足をお舐め』はタイトルがアレなので、本屋で買えないという可愛いボクちゃんがいた。貸してやったよ(笑) 実はボクが最初に読んだ詠美は、デビュー作の『ベッドタイムアイズ』(85)でも、直木賞の『ラバーズオンリー』(85)でもなくて、この『ひざまずいて足をお舐め』。1990年くらいだったかな。山田詠美なんて全然知らんかったもん。確か神代辰巳/樋口可南子の映画『ベッドタイムアイズ』(87)も見ているのに、山田詠美にたどりつかなかったのだ。本屋の書棚に並んだ『ひざまずいて足をお舐め』というタイトルに扇情的にそそられて偶然買ったのが運の尽き。そこからどどっと山田詠美にはまりこむことになったというボクにとっては記念碑的な一作。
第1章にいきなりSMクラブでの話が飛び出してきて、それもペニスに針をぶっ刺すなんていう信じられないようなエピソードが出てくるので、これでぶっ飛んでしまうかもしれないけれど、あとは比較的穏やかよ(笑) 詠美の分身ともいえるちかと忍の二人の語り口でどんどん詠美の恋愛観、人生観が語られる。表現として「 」を使わないで、どんどんしゃべり言葉で進んでいくスタイルも、やったねってところ。
いまや、高校の教科書にも出てくるようになった詠美だけれど、ボクのように山田詠美への入り口として読んだらきっといい。高校生なんか『ぼくは勉強が出来ない』なんか読んでるより、きっとためにある(笑)
10数年経ってあらためて読み返してみて、やっぱり山田詠美はボクにとってラバーだと思ったよ。

私は、外側からのものを自分のフィルターを通して、内側に持って行って、それをまた、外に出すという面倒なことをしなきゃ、自分の存在を確認出来ないわけ。でもさ、そうじゃなくて、自分の内側で、最初から、ものをあふれさせて、それを自分のフィルターを通して、外に出すだけで、しっかり自分自身を作り上げちゃう人もいるのね。そういう人は、私より、心の器官が一つ少なくてすむのよ。すごく、いいなぁって、私は時々羨ましいね。私の選ぶ男の子たちは皆、そう。お姉さんもそうだと思う。それが、さっき言った、文学をするのではなくて、その人自体が文学だってことなの。ちょっと、ややこしくって、文学なんて言葉、赤面しちゃうんだけどさ、もしも、絶対的な音楽があるとして、そういう人たちは体から、その音楽を流してるんだ。私は、そう出来ない。外から入ってくる色々な音を自分の内に溜めてそれから音楽を創って外に出すやり方しか出来ない。そして、それが私の場合、小説を書くことなんだけどね。


世の中には、色々な人がいるよなぁって私は思う。ぶたれることで快楽を得る人もいれば、ぶつことで得る人もいる。くすぐられることが一番、好きな人もいるんだものね。そうされることをお客が望んで、私なんかに辱められて、満足するのも、彼らが、本当に守られるべきものは、ちゃんと守っていることが出来るからだろう。どんなに裸になって辱められても、結局、その人たちが持つ基本的なものは決して辱められることはない。それを辱められたら、人間は生きては行けないし、そして、それは、裸になった体の表面には、ないものなのだ。だから、彼らは、私の目の前で、どんな醜態をさらしたって平気だ。私たちと客の間には、そういう暗黙の了解がある。
 でも、やはり、肉体を他人の手に預けてしまうというのは勇気のあることだ。そして、それをしてくれる客たちを、どうして軽蔑することなんか出来るだろうか。早苗もねえ、外側なんだよ、外側。かぶってる皮をぷちんと破れば、まわりのものが皆、愛すべきものに見えてくるのにねえ。


自分が傷つけられるって意識するばかりで、人を傷つけたらどうしようって悩んだりはしないから、被害者意識だけで毎日が過ごせた。被害者意識って、すごくお気楽なものだよね。本当の心地よさを知らない人間が持つ、じゃなかったら、本当の心地よさを味わったことを忘れてしまった人の持つ醜いものだよ。人間には基盤ってものがすごく大切だと思うんだ。幸福ってことを知ってる人、人を傷つけてはいけないことを知ってる人は、どちらかっていうと、いつも加害者意識で自分を傷つけている。こっちの方が人間として、ずっと上等なだけ、はるかにつらいことだと思うんだ。

 (1988 新潮社)
 新潮文庫