中上健次『愛獣』(「新潮」 1988.5)

嫌悪感をいだき続けながらも、女の在る世界に引きずり込まれざるをえない男。たらい、梅の臭い、歯ブラシ......『高野聖』?

女は男を閨の中で子供を扱うように愛撫した。雨戸を閉め、いかほどに強い臭気であろうと、芳香であろうと用意に入り込めないよう硝子戸を閉め、灯りを落とした暗がりでの中で、女は湯の匂いを立てる男を仰むけに寝かせ、のしかかり、顔中を撫ぜ廻し、唇で吸い、舐めた。


 女に豆粒ほどの乳首を吸われ舐められ、心もとない快楽を引き出され思わず女が上げるような声を上げ、ふと餓鬼阿弥で不能小栗判官は照手姫からこのような愛撫を受けていたのだ、と思い、自分のあげる声が、熊野に来てよみがえる小栗判官歓喜の声のような気がし、一方の乳首からもう一方の乳首に移り、腹を脚を、ふぐりを、尻をなめる女を嫌悪とはまるで違う感情、自分とは切っても切れないものでつながった者を愛しむような感情に包まれ、女のように声を上げる。