丸尾末広『笑う吸血鬼2 ハライソ』

maggot2004-07-11

2003年のヤングチャンピオンに13回にわたって連載したのを1冊にまとめた。B5サイズででかいからね、迫力満点。吸血鬼譚だから、推してしるべし。決して良い子は見てはいけませぬ。
12章のクライマックスで、10月の桜の狂い咲きから、一転、焼け跡を連想させる屍が累々と盛り上がった廃虚に変わるところは超かっこいい。
いつもの引用のかわりにスキャンしてやろうかと思ったが、ぐわっと拡げてスキャンすると本が傷んでもったいないのでやめとく。9章の扉絵なんかむちゃ好き。

(2004 秋田書店)

団鬼六『不貞の季節』

廣木隆一監督で大杉漣主演の映画『不貞の季節』の原作。 団鬼六の自伝小説ではあるが、どこまで本当だかどうだか。妻が自分の部下と不倫してしまって、それをその部下自身から聞かされる。聞くことによって、自分自身をサディスティックに責めていく自虐性。どっちかというとS、日本のSMの元締め=鬼六先生だが、ずばりMだな。Mだからこそ、『花と蛇』のようないわゆるSM文学となるのだな。 原作を読むと、男のM性を中心に描かれていて、映画でも大杉漣を軸に描かれていたのは、あながちまちがってなかった。だけど、原作のほうが鬼六自身のM性はずっとはっきりしてるな。

甲斐扶佐義『ぼくの散歩帖 地図のない京都』(1992 径書房)

maggot2004-07-01

この前、京都出町柳ほんやら洞に行ったとき、たまたま甲斐さんが居合わせた。ちょうど一緒に行った猫好きの彼女に甲斐さんの『猫ノ泉』をプレゼントしたところだったので、「サインしてもらい」と勧めた。
甲斐さんに「サインお願いします」と頼むと、彼は、静かに少しはにかみながら、「いいですよ」と言って、「こんな本もあるんですよ」と何冊か、出してきてくれた。その一冊がこの『地図のない京都』
ボクの好きなコントラストのきつい写真が並ぶ。他の写真集にも収められているのも何点かあったが、他の写真集にくらべて、この『地図のない京都』はよりコントラストが強く上がっている。
写真一点、一点に、彼自身の短いコメントが添えられている。ぼっとなにげにほりだされた写真には、演出などが排除されていて、それは目の前にいる少し照れ気味の甲斐さんの人間をよく表している気がした。あまりの演出のなさは、まるで甲斐さんが京都のユジューヌ・アジェのような印象さえうけてしまう。わらび餅売りの夫婦の写真、こんなのアジェにもあったよな。
ボクはバス停でバスを待つ大原女三人並んだ写真が好き。
そうそう、この『地図のない京都』は、その彼女が『猫ノ泉』のお礼に、その場でボクにプレゼントしてくれたのだった。

 → 甲斐さんの本は、ほんやら洞のサイトから直接注文できます。

沢木耕太郎『天涯 第二』

maggot2004-06-30

『天涯』シリーズとしてすでに何巻か出ているようだけれど、ボクは知らなかった。これが初めて「第二」とついてるのも気がつかなかった。写真集としてはふつう。ま、元々、写真家が専門ってわけじゃないから。ちょこちょこ、いいなぁって思う写真もあるけど。その写真に、旅をテーマにして、沢木のショートが少しはさまれて、海外のピート・ハミルブコウスキーなどからの引用。杜甫の「冬至」がいいな。

(1999 スイッチ・パブリッシング)

荒木経惟 / 森まゆみ『人町』

maggot2004-06-28

谷根千ネットの森まゆみアラーキーが、彼女の地元=谷中・根津・千駄木を、月1回1年かけて、歩きまわり撮り集めた笑顔だらけの写真集。ボクも、今年の春に数時間だけど、谷中を歩いていて、ちょうどお花見のときね。知った場所とか出てきてうれしい。
「町には笑顔がなくっちゃ。笑顔の人生こそが幸福。人生は幸福でなければいけない。」とアラーキー。いいなぁ、こんな笑顔ばっかり撮れて。カメラを向けると笑顔が返ってくるのはアラーキーの人徳か。ボクなんか暗い後姿ばっか。
森まゆみのショートストーリーがこれまたすごくいいんだよねぇ。最後十二月の「私の神様」なんてせつないよね。幸福って何だろ?

「さいしょ、マネキンかなんかたくさん乗せてるかと思って、近くまで来たら真っ黒焦げの死体がぎっしりゆらゆら揺れている。穴を掘ってそれを並べて、土をパラパラかぶせて、また並べて……。まるで大根漬けてるみたいだった」
 こんな悲劇でも、どこかに笑いを入れないとやってらんないのが下町である。ほんとに死んでしまえば人間なんて、大根みたいなものなんだ。むしろそのものいいに胸をつかれた。
 戦後、落ちついてから八柱霊園などに改葬されたというけれど、まだ少しは骨が残っているのかもしれない。
 その上で、春は花見の宴が咲く。坂口安吾桜の樹の下には死体が埋まっている、といったけれど、それは本当の話なのである。

  (1999 旬報社)

野坂昭如『万婦如夜叉』(1971 「オール讀物」)

女に対する妄想、題名とおりにすべての女は夜叉のようであって、その前で男はどうしようもない存在だと描きあげる。あげくに先妻との間の息子と妻が「デキ」てんじゃないかという妄想にとりつかれる男。家庭を舞台にした壮絶な「反米闘争」。野坂にとっての戦後はまだまだ終わっていなかった。
 注:「戦後は終わった」(1955「経済白書」)

「ごめんなさい、私、腋臭なんです、いやでしょ」やり過ぎたかと、同じく硬直した義尊の手を腋から離し、ハンカチで丁寧にふき清めると、今度はおおっぴらに首をあずけてもたれかかかる。義尊おそるおそる肩に手をまわし、以後は理恵もほとんど笑わず、ただハンカチをしっかとにぎりしめていた。気づかれぬよう、腋毛にふれた指を嗅いでみると、法子の口臭とは雲泥の差、艶やかに光るその有様が浮かび、つれて理恵の裸像がスクリーンにダブり、動悸激しく、息苦しい感じとなって、抱くとまでいわぬ、唇を吸えたら、腋毛に鼻をこすりつけ、理恵の体臭胸いっぱいに満たしたら、それで至上の快楽に思えるのだ。