北村薫『スキップ』

maggot2003-12-09

 17歳の女子高生がある日、突然、40いくつだかのオバサンに"スキップ"する。それは25年先の自分。時代は昭和から平成に移ってしまっているのだ。と、大林宣彦尾道三部作のようなファンタジー。いや、ファンタジーというには主人公・一ノ瀬真理子にとっては酷か。25年戻って若くなるというのならファンタジーだろうけれど、25年先にいきなり老けるというのは残酷物語だろう。しかも、17歳の娘までいるのだ。そして娘の通う高校の先生になっていた。
 これは幻想譚でもないし、ミステリーでもSFでもないのが救い。現実譚というところがいい。主人公が跳び越えてきてしまった現実に直面してあたふたする様子がおもしろおかしく、やがて哀しき鵜飼いかなって、なんじゃらほい。
 ただな、著者自身が元々高校の国語の先生だったこともあって、かなり高校での職員室の内情とか克明に描いているが、やや冗長で飽きてしまう。そして何よりも理想化されすぎ。『これが青春だ』じゃないんだからさ。いまどきオクラホマミキサーやってる高校なんてないだろ。

「若いって、生れてどれくらいっていう意味じゃあないでしょう。そのためには年齢という表示がありますよね。??先生は不思議な人で、いつも生き生きしている。特にこの春からは、??まるでぼくらをからかっているみたいに、一日一日、きらきらと若くなって行く?」
 わたしは中空を見つめた。
「ありがとう。??でもね、心を入れる入れ物は、しょせん体よ。わたしの入れ物は、どんなに頑張ったって、どんどん古びて行く。あなたより、??とても早く」
「そんなことは問題じゃありません。いえ、残酷ないい方かもしれませんけれど、もし、そうなら、そうであるだけ、ぼくは間に合いたいんです。一秒でも長く、先生の心と寄り添っていたいんです」
 胸を突き上げるものがあった。
「若いから??若いから、それだけ真剣になれるのね」
 わたしもそうだ、わたしも。


「俳句に入る前にね、いわれた通りやったんですよ。《木偏に春は何でしょう》」
「……つばき」
「《木偏に夏は何でしょう》」
「えのき」
「《木偏に冬は何でしょう》」
「ひいらぎ」
「?で、《それじゃあ、木偏に秋は?》

(1995 新潮社) 

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