森瑶子『カフェ・オリエンタル』

 ちょっとヘタすりゃ鼻持ちならない話を、文章の隙間から噎せ返るような熱帯の熱気と湿気、その気怠さ、頽廃を手品のように出してしまうんだから。サスペンスでありながら、ただのサスペンスにしてしまわない、いやほんとへたすりゃ火サスになりかねないんよね、そこらあたりの匙加減が絶妙。

雨期の間、家の外の道は川になってしまうの。茶色い濁流が渦をまいていて外へ出られない子供たちが眠ってしまった夜更けなど、発狂しそうになったものよ。雨がカワラを打つ音や家の外を流れる音なんて、耳がなれてしまって、特に耳を澄まさないと気にもならないの、一種の騒音というか降り方によっては轟音に近いんだけれど、それもあんまり長く続くと静寂と区別がつかなくなるのよ。
 そうするとね、最初は気がつかなかったんだけれど、雨を逃れて実に夥しい生きものが家の中に避難しているのよ、ムカデとかゲジゲジとかヤモリとか、それは気色の悪い生きものたちが、気になりだすと壁や天井や至るところに張りついているの。
 とりわけゲジゲジが恐くてね、あれが部屋の中に一匹でもいると金縛りにあったみたいになるから、メイドたちに殺させるんだけれど、出没するのは主として夜だから、そのたびに彼女たちを叩き起こすわけにはいかないのね、で、わたしはじっと待つの。恐いからどこへ動くかちゃんと見ているのよ。何時間も待つの。そのうちポトリと床の上に落ちるのよ、多分天井に張りついているうちに眠ってしまうんでしょうね、ゲジゲジが落ちるとそのショックで長い肢が付け根のところからもげてバラバラに飛び散るのよ、それがもう何とも耐え難い光景で、もげた長いくの字の肢がね、いつまでもいつまでももぞもぞ動いているの。胴体から離れてしまっているのに、いつまでも動いているのよ、雨期の夜にゲジゲジのもげた肢がもぞもぞ動いているのをいつまでも凝視しているとね、ゆっくりと自分が狂っていくのがわかったわ。

(1985 講談社)