林忠彦『林忠彦の世界』
少し前にまごまご日記にも書いた写真家林忠彦の東京都写真美術館での写真展の図録。『カストリ時代』や『文士の時代』などの写真集はもうほとんど手に入らないだろうし、コレクターでもないのだから、このような図録というのは貴重。
かのルパンの太宰治はもちろん、織田作之助、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、とそうそうたる文士たちのポートレートはただただ眺めるばかり。
『アメリカ1955』からも30点ほど。『カストリ時代』よりボクはこの『アメリカ1955』のほうが好き。
内田百間*さんといえば、皮肉屋で通っていましたから、こわくて、恐る恐る訪問しましたが、やっぱり噂にたがわず、まず玄関口でどきりとしました。面会謝絶ふうの札がかかっていて、たしか、
「世の中に人の来るこそうれしけれ、とはいふもののお前ではなし」というのでしたか。これは相当なものだと覚悟して部屋へ入ったのですが、お会いした感じは田舎のおじさんとちっとも変わらないような気楽さで、鳥と遊んでいるところを撮らしていただきました。戦後、二、三年経っているのに、戦時中の灯火管制のままで、電球にはカバーをかぶせて、小鳥をいっぱい飼っていました。
いよいよ撮るとなると、田中英光さんは注文をつけてきました。大宰さんと同じように「ルパン」のカウンターで飲んでいるところを撮ってくれと言います。すでに大宰も織田作も亡くなっていました。僕は「いやだ」と断ったんです。あのカウンターで撮ることだけはかんべんしてほしい。僕はもう作家を酒場で撮らないことにしていると言って断った。でも英光さんは「ルパン」でなくていいから、とにかく太宰さんと同じようにカウンターで飲んでいるところを撮ってほしいと、それはしつこいんです。
(中略)
「太宰さんと同じような写真を撮ってもらったから、もういつ死んでもいいんだよ」
彼はフラフラと消えていった。それから間もなくでした。
大宰の墓前で田中英光さんが自殺をしたというニュースを聞きましたのは。