吉行淳之介『砂の上の植物群』

 これが中平康監督で映画化されたのはボクがまだ中学生の時。そのころ、『砂の女』、『砂の器』というふうに、やたら《砂》というのが目についた。当時の中学生にとって非常に扇情的だったのが、印象に残っている。親父の本棚から『砂の上の〜』をこっそり抜き出してきて、乳房を力をこめて掴むと、乳汁が流れ出した、などというのにはひどく興奮していた。あとの2つはそれから何年か経って映画で見たし、本も読んだ。ところがどういうわけか、一番興奮していたはずの『砂の上の〜』の映画も見ずじまいだったが、やっとのことで読んだヨ。
 やっぱりガキの頃に獲得してしまった性癖のせいか、ひどく興奮する。ストーリーとしても抜群だし、その1ショット1ショットのボカシの効いた鮮烈さはたまらない。こう書くと、映画みたいに思えるけど、あくまで文章のほう。いったい吉行の文章表現ってのは映画以上に映画的だ。
 昔の映画もどっかで頑張って捜しだしてきて見たいけれど、誰かつくらへんかなぁ。映画以上に映画的な小説を映画化するのはむちゃ難しいとは思うけれど。
 そして、いつものように、ぽんとほおり出されるのだった。

 彼は、力を籠めて、乳房を掴んだ。掌に乳房は一ぱいになり、五本の指の隙間を、ぎっしり白い肉が満たした。指先が肋の骨に突当ると、彼は一層指を内側に折り曲げ、まるで乳房を掴み取ろうとするように掴み上げた。
「掴んでくれ、とその男に頼んだのだろう。もっと強く、と言い続けたのだろう」
 力を加えながら、そう言う。また、京子は烈しく首を左右に振りはじめた。声を出しはじめ、やがてそれが言葉になった。最後まで、痛さを訴える言葉は、京子の口から出てこなかった。
 不意に、伊木が掴んでいる乳房のまわりの空間に、白い色が走った。一瞬、彼は判断が付き兼ねた。乳房から、白い液体が迸ったのである。わずかな分量だが、間歇的に三度続いた。乳白色の水滴が、点々と乳房の上を飾った。悦びのために流れる白い涙のようにみえた。また、その白い水滴に、女体の悲しみが凝縮しているようにも、彼の眼に映った。