金原ひとみ『アッシュベイビー』

maggot2004-08-26

きゃはっ、ちょっと引用が長すぎたか。あ、でもこの部分の疾走感はむちゃくちゃに気持ちがいいんだもん。止まらない、止まらない。たぶんね、書きだしたら止まらなかったんだと思う。だから読みだしたら(写しだしたら)止まらないのだ。
きっとな、処女作の『蛇にピアス』のほうが世間の評価はいいでしょ。でもね、この疾走感がこの『アッシュベイビー』を全編を通して支えているんだと思う。
そしてこれも物議を醸すんだろな。ことばの使い方なんてのはもうむちゃくちゃだし、チンコ・マンコがポンポン飛び出すし、眉を顰めてるのが容易に想像できるってもの。確実に学校推薦図書にはならないだろうけれど、だからこそ学校推薦図書になるべき。
ちなみにボクはそう期待してわけじゃなくて、ハンス・ベルメールのカバーにつられて買ってしまったんだけど、いわゆるジャケ買いね。ジャケ買いって正解の時多いな。

外は白み始めていて、私はとりあえずタバコに火を点けた。窓を開けると冷たい風が入ってきて、体中がその冷たさに反応する。寒い、寒い、寒い、という信号を吐き出す。だから何だっつーんだよ。だから何だよ。私に何しろっつーんだよ。窓を閉めろっつってんだよ。うるせえ。お前がタバコを吸いたがるからタバコを吸ってやってるんだよ。私はタバコなんて吸いたくないんだよ。ただお前が欲しがるから吸ってるだけなんだよ。わかってんのか? バカ野郎。窓を閉めたいんなら自分で閉めろポケ。お前が私に勝てるはずねえんだよ。どうしても寒くて仕方ないってんなら鳥肌でも立てて私が窓を閉めるのを待ってな。ガタガタ騒ぐとお前ごと殺しちまうぞ。殺すぞコラ。お前一人殺すぐらいわけねえんだぞクソ。お前をファックして殺しちまう事だって出来るんだぞ。膣にナイフを突っ込んで中をかき回す事だって出来るんだぞ。お前の腹に包丁を突き立てて臓腑を引きずり出す事だって出来るんだぞ。電車に礫かれて何もかもぐっちゃぐちゃに出来るんだぞ。お前なんかクソだクソ。お前が寒いって事が私の思考を一ミリたりとも動かす事はないって事だ。お前が死のうとお前が吐こうとお前が泣こうと私には関係のない事だ。私はお前を簡単に殺す事が出来る傍観者なんだぞ。もう、通り魔みたいなノリで簡単に殺してやるよ。「ムカついたから」って理由で殺してやる。お前なんかこの世にいらない。お前なんかただ私の思うように動いて私の食いたいモノを食ってればいいんだ。殺してやったらお前は笑うのか? 多分笑うんだろうな。私に殺されたらお前は笑うんだろう。お前が笑ってるのを見て私はもっと笑ってやるよ。何てったってお前は私なんだから。大体お前が生きてる事自体がとってもおかしい事なんだよ。だって私はいつだって殺せるのにお前は生きてる。今まで私の気が向かなかった事の方がおかしい。今までお前を殺そうと思えばいつだって殺す事が出来たわけで、二十二年間それが一度もなされなかったのはとってもラッキーな事なんだぞ。お前は今お前が生きてられる事を幸せに思え。バカ野郎。生きてるって事がどういう事なのかお前の舌っ足らずな思考で言ってみな。何黙ってんだよ。お前何もわかんねえんだろ。どうせお前は何もわかんねえんだよ。私がいなきゃ何も出来ないくせに。何鳥肌立てて窓を閉めろなんて言ってやがんだクソが。クソだクソ。お前なんかクソなんだから肥料にされて撒かれちまえ。お前の事みんなが臭いって思ってんぞ。クソはクソらしくクソしてればいいんだよクソ。きええー。私は叫んで昨日オレンジを食べた時に使った果物ナイフをつかんで左の内腿に突き立てた。私の肉体が反乱を起こした。一揆だ。あ、でも、精神が肉体を支配しているのだとしたら私は私の精神にも肉体にも反乱をおこされたって事になるのだろうか。どっちでもいい。ただ、今私は果物ナイフを抜いた方がいいのか、それとも突き刺したまま病院に行った方がいいのか、とても迷っている。いやいや、神経とかやられてたら歩けないだろ。っつーか、私大丈夫なのか? 一時の気の迷いでこんな事しちゃって、大丈夫なわけ? うーん、大丈夫なわけないし。どうしよう。ホクトに救急車呼んでもらうのもちょっと、っつーかかなり間抜けだし、かと言って自分で救急車とかタクシー呼ぶのも間抜けだし。まあ、いいや。どうせ私はなにやったって間抜けなんだから。死ねやクソ、私はそう言うと果物ナイフを引き抜いた。勢い良く飛び出した血を顔面にくらって、私は面食らった。血を吐く傷口なんて、マンコみたいだ。鳴呼、マンコ誕生。なんて考えていたら、ベッドのシーツがどんどん赤くなっていった。ああ、いいね。とっても綺麗。この赤が私の体に流れていたなんて、想像出来ないよ。とっても綺麗だよ。私、血だけならこんなに綺麗なのに、どうして私はこんなに汚いんだろう。どうしてこんなに汚くてバカなんだろう。どうして私は数式が解けないのだろう。どうして私は古典が苦手なのだろう。どうして私は人の心が読めないのだろう。私を愛するモノなんて何もないと知ってしまった時、食欲や物欲や情欲や私に関する全てのモノが私を裏切ったような気がする。最初から裏切られてるのかもしれない。いや、裏切るも何も私は最初から誰にも求められてないし、誰からも求められてないし、誰からも求められてないのかもしれないし、本当は誰からも求められていないのかもしれない。お願いだから誰か求めてよ。誰でもいいからさ。でもやっぱちょっとオヤジは勘弁だけど。でも誰でもいいよ。本当に誰でもいい。誰でもいい。求めてよ。お願いだから、大丈夫なの? って心配してよ。心配してよ。血を流す私を心配してよ。ナイフを突き刺す私を心配してよ。どんな心配でもいいから。どんな心配の仕方をしても構わないから。どんな言葉でもいいから、私にかけてよ。いいよ。わかったよ。もういいよ。精子でいいからかけてよ。私の顔面にぶっかけてよ。誰でもいいから誰か私を誰か愛してよ誰か愛してよ誰か求めてよ誰でもいいから。何も文句は言わないのよ。私が今までに文句を言った事がある? あったなら悪かったわよ。ていうかあるわよ。私は文句しか言わないわよ。でも私はずっと求めてもらいたくて仕方なかったのよ。これからもきっとずっとどうしようもないのよ。そうよ私はどうしようもないの。どうしようもなく誰かを求めてるのよ。とにかく私を愛して欲しいの。他の誰でもない私をね。私だけよ。私だけ愛して欲しいの。私以外の誰かを愛するなんておかしい。私以外の誰を愛すっていうの? 私以外に愛する人がいるとするなら神だけよ。神と私以外は絶対に愛す価値のない人間だから。涙を流してしまってとても醜い私だけど、言わせてもらう。もういい。私はもう愛してもらわなくていい。もう愛さないでちょうだい。ていうか愛すな。愛されるなんて私には荷が重すぎる。私なんて愛されるに値しない。私なんていらない人間だし。別に愛さなくていい。求めなくていい。何も求めないでいい。私の事なんか求めなくていい。ただ、ただ私にほんの少しでもいいから興味を持ってちょうだい。私だけに、いや、私だけでなくていい。多くの興味を持っ事柄の中で私に、たった一ミリでもいいから、興味を持って欲しい。私は本当に、誰からも興味を持たれない人間みたいだから、とにかく誰でもいいから興味を持って。ただの興味でいいの。単なる興味でいいの。興味なんていくらでもあるでしよ。その一ミリを私にちょうだいって言ってるの。私だけじゃなくていいって言ってんの。何だつていいの。何だっていい。私に関する事なら何でもいい。私に関する事でいい。私に関する事に興味を持ってよ。私私って、とっても私私してしまつて申し訳ないけどさ。私は私が大好きなんだよ。私以外の事に何も興味はないんだよ。申し訳ないけどさ、私は私って言葉が大好きなんだよ。ただ私が自分のゲル状態を確保するために私私言ってんだよ。それがないって事はつまり、生きてないっていうのと同じ事なんだから。
「うう」
 私は唸って泣いていた。脚が痛いような、何か悲しいような、そんな気がした。
「ううー」
 大きく唸ると、何となくスッキリした。そうだ。明日は誰かとセックスしよう。そう思った。

(2004 集英社