堀江敏幸『ゼラニウム』

maggot2004-03-20

 この堀江敏幸って人の文章はいいんだかどうなんだか。確かにエスプリの効いた文章は美しい。が、それが逆に邪魔をするときもあるわけだし、フェティシズムに彩られもする。クセになりそうな気配がする。
「薔薇のある墓地」「さくらんぼのある家」「砂の森」「アメリカの晩餐」「ゼラニウム」「梟の館」 の6編の短編集

 水は最後からふたつめの関で張力をもってふくらみ、ふくらみ切ったところで見えない針に刺されて音もなくはじけ、ガラスの壁にすっと糸を引いた。いつのまにか彼女は私の後にまわって立方体の群れを真正面から見つめている。
   (中略)
 しばらくためらったのち、彼女は引き込まれるように水槽に近づくと、指をきれいに開けた両の手を沈めていった。もっと、もっとゆっくり、そう、ほら。わずかにあふれでた水が不意になめらかな滝となり、次々に連鎖を生んで最後の容器に注がれていく。友人の仕事は完璧だった。水漏れ箇所はひとつもなかった。いまやガラスの箱は死んだオブジェでなく巨大な生命体となって呼吸を開始し、鼻をつく異臭も湖の香りにすり替わっている。しかし私はもう淡い緑色の光を遍在させるその水の行方を追ってはいなかった。水源に沈められた白い手を見つめていたのだ。細くしなやかな十本の指をひらめかせた彼女の手は、そのときぬめらかで美しい、物言わぬくらげになっていた。

さくらんぼのある家」

(朝日新聞社 2002)